こんにちは、武藤遼です。
今回は、継続の重要性について書きたいと思います。
僕は、めちゃくちゃプライドの高い人間でした。
どのくらい高いかというと、他人に負けることが許せない。
常に、常に、常に、常に一番でいたい。
自分が誰かに負けることはあってはならないし、
周りの人間の中で一番でいたい。
自分が注目されたいし、自分の話を聞いてほしい、
自分に喋らせてほしい、自分のことを褒めてほしい、
そう思っている人間でした。
あらゆることで他人に負けたくないわけです。
負けたくないというより、負けを認めたくない。
たとえ相手に何かすごいものがあったとしても、
総合的には自分が勝っているはずだ。
そういう風に考えていたわけですね。
負けを認められないわけです。
素直になれない。
だから人に頭を下げることなんてできないし、
面倒くさいことは全くやりたがらなかった。
僕が司法試験の勉強を始めたのも、プライドの高さゆえでもあります。
僕は大学受験に失敗して、1年間浪人することになりました。
1年遅れて、大学に入っているわけなので、現役で入った人と比べて1年遅れているのが許せないわけです。
だからこそ、なんとかしてこの1年間の遅れを取り戻したかった。
そう思って、必死に考えたわけです。
この遅れを取り戻す方法はないかと。
それで調べてみたところ、予備試験というものがあることを知った。
弁護士になるためにはロースクールに行く人が多いけれど、予備試験に合格すれば大学生のうちに司法試験を受験できるらしい。
当時はまだ大学生から予備試験を受ける人もそんなに多くなかったので、
僕にとってこれは大チャンスに見えました。
ここで勉強を頑張って、大学生のうちに司法試験に合格すれば、
1年間の遅れを取り戻せるのではないか。
これが僕の司法試験を目指すきっかけだったわけです。
結果そのおかげで早くから勉強を始めることができ、
大学生のうちに司法試験に合格できたわけですから、
プライドの高さが時に役に立つこともあります。
1年の遅れを取り戻すために戦っているわけだし、
試験は合格しないと話にならないので、
基本的にやる気が途切れることもありませんでした。
合格できなかったら死ぬ。
それくらい自分を追い込んでいました、当時はね。
プライドの高さは浪人の時にも役に立ったことがあって、
僕としては2浪はアウトだったわけです。
なぜかというと、大学に入った時に年下の人に敬語使わないといけなくなるから。
年下が先輩になる可能性がありますからね。
1浪はまだ年下とタメ口になるだけなんで、まだ許容範囲でしたが、
年下にペコペコしなければならないのは僕のプライドが許さない。
あと、僕の弟が2歳下だったので、下手したら僕の弟と同学年になるという恐怖も大きかった。
そんなこんなで浪人して絶対に失敗するわけにはいかなかったわけです。
めちゃくちゃ自分を追い込んでいた。
めっちゃ辛かったですが、あのおかげでなんとかなったところも正直あると思います。
でも、まあプライドが高いのがいいわけなくて、
素直になれないし、負けを認められないし、他人を尊敬できないしで
自分にとってマイナスが大きかったわけです。
年下に敬語使うのがやだとかそんなこと言っている時点で
相当心狭いなってなりますしね。
他人に気に入られないのも当然、愛想悪いのも当然、モテないのも当然というわけです。
これは今後生きていくのにまずい。
狭い世界しか見えてないわけです。
僕より年下の人だって僕よりすごい能力を持っている人はいくらでもいるし、
世界を見渡せば自分よりすごい人なんていくらでもいる。
そのことに嫌でも気付くようになった。
負けを認めたくない。
自分が一番なはずだ。
そういう意識で生活していると、
嫌でも気付かされるわけです。
自分が他人に勝っているところなんてほとんどないということに。
どう考えても、他人の方ができている。
明らかに、自分の方が劣っている。
そのことにだんだんと気づいてきた。
いろんなことを知れば知るほど、
自分よりできる人がいることに気づかされる。
自分が本当に誇れることなんて本当に何もないんじゃないかと思うようになってきた。
僕がこうやって司法試験を教えているから、
法律という武器があるじゃないかという人がいるかも知れません。
でも、それは法律という世界であって、
世界が変われば僕が生徒、受講生が先生になるという関係があり得る。
どんな人にも、必ず僕より優れていることがあるということに気づいた。
そこを謙虚に学ばなければいけない。
能力のない自分はそうやって生きていかなければいけない。
そう気づいたわけです。
そこで僕は考えた、考え方を変えたわけです。
僕は陸上で短距離をやっていたので、
今までは瞬発力が重視する考え方だった。
要は、目の前の人に勝つということが大事だという考えです。
それも大事だけど、もっと長い目で見ていかないといけない。
人は誰だってできることもあれば、できないこともある。
成長するにつれて、だんだんとできる部分だけに目を向けるようになり、できない部分に目を向けないようになってくる。
できない自分と向き合っていくことができなくなっていく。
でも、自分が学び続けるためにはできない部分に目を向けていかないとダメなわけです。
辛いけれど、できない自分と向き合わなければいけない。
そして、当たり前だけれど、できない自分ができる自分に変わるためには時間がかかる。
ちょっと努力すればすぐできるはずだという考えでいては、
理想の自分とのギャップに押し潰されてしまうわけです。
なんでできないんだ。
もっとできるはずなのに。こんなはずじゃない。
こんな考えで頭が埋め尽くされてしまう。
だから、考えを変えないといけなかった。
できない自分ができるようになる。
できない自分がこの社会で生きていく。
そのためには、長く続けるしかない。
継続するしかない。
他人より長く続けることができれば、それはすでに成功だ。
成功の定義を、
「他人に勝つ」から
「他人より長く続ける」
に変えたわけです。
誰かに勝つのはすごく大変だし、
勝った負けたはその場の評価でしかない。
勝負にこだわるのはもちろん必要だけど、
こだわりすぎると消耗してしまう。
1番になる前に、倒れるのがオチだろう。
そう考えるに至りました。
冷静に考えると、できないことが多すぎる。
できないところ、足りないところ
そういうとこばかり見えてくる。
今まではそういうところに目を背けて
自分のできるところだけ見て生きてきたけど、それも限界
成功や勝利を追い求めすぎると、
あまりにもできない自分に絶望する。
理想とのギャップに耐えきれなくなるわけです。
だから、僕は変わりました。
継続が何より大事だという考え方に変えました。
スピードや結果を追い求めすぎない。
ゆっくりと、でも着実に、倒れないことを目指す。
人より長く続けられれば、それだけで成功者なのだから。
これにより、僕の行動は色々と変わりました。
司法試験の勉強にしてもそう。
模試や答練で他人と点数を競ったり、
ゼミを組んだりして深いところまで考えようとかして、
それはそれで楽しいし勉強にもなるんだけど、
でも疲れる。
どこかで無理している自分がいる。
今は頑張れるかもしれないけど、でもずっとは無理。
そんな行動を繰り返しては意味がない。
そう考えました。
司法試験の勉強だって
試験に合格したら辞めてしまう人が多い。
一旦合格したら、まるで何もなかったかのように忘れてしまう。
せっかく頑張ったのに、少し立つと忘れてしまう。
もったいない。
僕はこうして司法試験の指導をしていて、
曲がりなりにも勉強を継続しています。
僕は司法試験で1番になったわけではないし、抜群の成績だったわけでもない。
でも、続けることによって少しずつではあるけどレベルアップを続けている。
合格して勉強をやめた人はそこで成長が止まったわけです。
無理をしていても、それは長くは続きません。
無理をしない状態で長く続けることが一番です。
別に常に継続をしろっていうわけではありません。
毎日やれとかそんなことを言うわけでもない。
でも、続けることは大事。
最近、僕はあまりランニングをしていなかった。
昔は、バリバリ走っていたのに、今はそうでもない。
むしろ、長く運動しない日が続いた。
でも、ここで1日走ったとしたら、
またここで運動が継続していることになる。
過去に積み上げてきたものがあるから、
途中途切れたとしても、継続することができるわけです。
毎日やる必要はない。でも続けることが大事。
決して無理はせずに。
ビジネスにおいてもそう。
ビジネスにおいては、他人に価値を提供することが大事とよく言われます。
相手目線で考えることが大事
相手の喜ぶことをやるのが必要だ
それは正しいと思います。
でも、そうやって生きていると時に辛くなってくる。
相手にとって必要なことをやろうとするあまり、自分に負荷をかけすぎてしまっています。
そうすると、続かない。
瞬発力を利用して短期間の努力をすることはできるけど、でも結局どこかでやめてしまう。
辛くなってしまう。
途中でやめてしまったら、
走り続けている人に勝てなくなります。
今は勝っていても、やがて追い抜かれる。
そして追い抜かれたら、もう2度と勝つチャンスはない。
途中でやめたら、もう勝てるチャンスはありません。
そうならないためにも、
ゆっくりとでも走り続けなければいけない。
だから、無理をしてはいけない。
去年、僕は初めてハーフマラソンを走りました。
一応練習はしていたのだけれど、
ハーフマラソンの距離を走るのは本番が初めてでした。
だから、ペースがわからない。
一緒に参加した仲間からは、
最初はゆっくりすぎるくらいがいい。
最後になれば周りに歩いている人がたくさんいるから、
そうならないようにだけ気をつけてと言われました。
走り始める前の僕も、
とにかく歩かないようにだけペース配分を気をつけますと言っていました。
でも、途中で足が止まった。
最初に突っ込みすぎて、
15km地点くらいで走れなくなり、歩いてしまいました。
そこからの道のりは地獄でした。
走ろうとしても、体力が続かない。
途中で足がつりそうになってくる。
周りの人にどんどん抜かれている。
なんでこんな若い人が歩いているんだろう。
自分の倍も年齢がありそうな人にバンバン抜かされていくわけです。
そうなった時、
僕の足はつりかけているので、追いかけて抜かすことはできない。
途中で止まったら、もう勝てないわけです。
最初はゆっくりでもいいから、走り続けている人が勝つ。
途中で足が止まって抜かされたのは僕の方でした。
最初に無理をしなければ、突っ込まなければ
こんなことにはならなかったはず。
短期的な利益を求めて、長期的な利益を逃してしまったわけです。
これはハーフマラソンだから良かったですが、
人生だったらそうはいかない。
人生で途中で足がつって走れなくなったらかなりきついです。
もう逆転できないわけですからね。
ハーフマラソンでは地獄の思いをしましたが、
そこから多くのことを学びました。
今やっているyoutubeだってそう。
youtubeに動画を上げる以上、
面白い動画、役に立つ動画をあげなければいけない。
そう意気込んでやっていることはもちろんです。
でも、それにこだわりすぎると辛くなってくる。
あまりにできなさに耐えきれなくなってくる。
理想と現実のキャップがあまりにもデカすぎる。
一旦動画を撮って、自分で聞いたら
あまりの酷さに声も出ない。こんなの誰が聞くんだ。
というか、誰だこの声。
最初はそんな状態でした。
そこで、これじゃあ勝てない、見てもらえないからと考えて
動画をアップロードしなかったら、
今の僕はありません。
いろんな動画を研究したり、勉強したりして、
質の良い動画を作ろうとしてはいますが、
そこにこだわりすぎると続かないわけです。
半年や1年間続けば良い方で、
いつの間にかやめてしまう。
質にこだわったり、チャンネル登録者数にこだわった場合の
未来が見えました。
それよりも、続けることが大事だ。
質の高い動画を撮ることも大事だけど、
それよりも長く続けることの方がよっぽど価値がある。
今はそう思って、動画を撮っています。
もちろん、見てくれる人のためにいいものを目指す。
でも、自分ではダメだと思っていた動画でも、
他の人が価値を感じてくれることがある。
自分では60点だと思っていても、
他人が見れば、それは80点にも100点にもなる場合があるわけです。
それにもかかわらず、
勝手に自分の中の理想との間にギャップを感じてやめてしまう人があまりにも多い。
そうじゃない、続けることが大事なんだ。
続けていけば、それは価値になる。
そのことを理解して、僕の人生は変わりました。
今の僕は、何をやるにしても
とにかく長く続けることを目指して計画を組んでいます。
実力がなくたっていい。
下手だって、カッコ悪くたって構わない。
続けていれば、すこしずつ上達していく。
上手い下手は相対的な概念にすぎなくて、
上手いと思った人も途中で脱落していく。
そうなったら、走り続けている人の中で上手い下手が決められる。
仮に走り続けている人が1人になれば、
その時点で1番になるわけです。
そして、それは圧倒的な価値になる。
ブログにしてもメルマガにしてもそう。
とにかく長く続ける。
そのためには、無理をしない。
1日1投稿などと言いますが、
それができる人はほんのわずかで、
結局は1日1投稿を続けられないだけでなく、
ブログ自体を続けることができなくなる人が大半なわけです。
1日1投稿。
1年くらいなら続けられる人は多いかもしれない。
でも、それを3年4年続けられる人はそうはいない。
そうなった時、僕は週に1記事しか投稿していなくても
ブログを5年10年続けている人の方が価値があると思います。
学びも多いはずです。
無理をしてはいけないんです。
無理をするのも時には必要だけど、
でもそれは一時的なものにするべきで、
基本はとにかく長く続ける意識を持つ。
そう考えた時、質はひとまず後回しです。
まずは、できることから始める。
他人と比べず、続けることを重要視する。
これが大事です。
これが全てです。
やめた時に、全てが終わります。
あ、あいつ消えたなって言われて終わりです。
今勝っていても、途中でやめたらいずれ負けます。
だったら、負けないように走り続けた方がいい。
勝つために頑張るのではなくて、
負けないために頑張る。
これが今の僕のプライドです。
もしかしたら、
プライドの高さは相変わらず変わっていないのかもしれない。
でも、絶対に勝たないとというギラギラした感情はなくなっている。
他人を蹴落としてでも前に進んでいく。
そういった気持ちはなくなりました。
他人を蹴落としてでも前に進んでいく気概を持つことは
僕は決して悪いことではないと思うし、
時に他人を蹴落とすことは当然あってしかるべきだと思うんですけど、
こういう考え方は自分にマイナスな側面も大きいなと。
誰かに勝たないと。
他人を蹴落としてでも前に進む。
これは常に自分にプレッシャーを与え続けているんですよね。
心の休まる時がない。
ビジネスマンとか特にそうで、
立身出世を目指して他人を蹴落としてでも出世しようと頑張りますが、
でもその頑張りは続いたとしても2~30年。
それがいつまでも続くわけないのは目に見えています。
退職した時はすでにだいぶ消耗してます。
確かに出世街道は2〜30年で終わるかもしれないけど、
でも人生はまだそこから続くわけで、
そこで全力を出し切っていたら、
もうそのあとは頑張れないわけです。
まさに足がつった僕と同じ状態ですね。
それよりも、ゆっくりでもいいから長く続けられる方法を選ぶ。
その方がずっと賢いと僕は思います。
仮に今、僕が何か新しいことをやるとしても、
早く結果の出る方法ではなく、長く続けられる方法を選びます。
勝ち続ける戦略ではなく、負けない戦略を選ぶ。
負けたとしても、そこで死なないような戦略をとります。
最後まで生き延びる戦略。
最後まで生き残れば、それが成功です。
生き延びることを最大の目標にします。
自分の実力なんてたかが知れています。
そんなものに頼ってはいけない。
自分の実力を過信すればするほど、
人は勝ちを追い求めるようになります。
でも人は人である以上、老いには敵わないのであって、
今まではできていたこともだんだんとできなくなっていく。
自分の実力に頼らずに成功する方法。
それは継続しかないわけです。
継続とは、時の流れ。
時の流れに身を任せる。
自分という不確かな存在ではなく、
時の流れという確かな存在に身を任せる。
それが僕の戦略です。
勝利はいいものですけどね。
華やかだし、自信になります。
だからこそ、継続に徹するのは口で言うほど簡単ではないと思っていて、
それができれば強いんだろうなと。
継続が大事だと気付いてから、
僕の人生は大きく変わりました。
行動する時の意識が全く違います。
目的意識も変わった。
僕自信、相当遠いところを見て行動しているので、
まだまだ結果は出ていないところもあります。
まあ結果はおいおい出てくればいいかなと。
焦ることはなくなりました。
司法試験の受験指導にしても、
youtube、メルマガ、ブログと無理せず長く続けられればいいかなと思っています。
それが将来価値になると思うので。
継続の重要性を知ると、人生楽になりますよ。
悩みがなくなります。
是非みなさんも考えてみてください。
きっといいことあるはずです。
メルマガやってます
さらに詳しい情報が知りたい方はメールマガジンに登録してください。
もちろん無料です。
メルマガでは、
より具体的な話をしております。
無料なので、
興味がある方は
ぜひご登録ください。
大好評いただいていて、
メールマガジンでしか流さない話もよくしてますし、
メルマガ限定企画も流しますし、
ここまで読んでいただいた方は、
登録して損することはないかと思われます。
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司法試験用のブログも作りました。
下記からご覧いただけます。
こんにちは、武藤遼です。 新しいブログを作りました。大学在学中に司法試験に合格して自由を手に入れた男の物語 こちらは、司法試験用のブログになります。 前々から準備していましたが、ようやく公開できることになりました。 今後、司法試験に関する情[…]
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僕は大学1年生から勉強を始め、
大学3年生で予備試験に合格、
大学4年生で司法試験に合格しました。
予備試験に合格するまでで勉強はほぼ終えてしまい、
予備試験後から司法試験までは
プログラミングやビジネスを勉強し、
法律の勉強はほとんどしませんでした。
信じられないかもしれません。
お前には才能があったんだろ?とも言われます。
僕はもともと司法試験を目指していたわけでもなければ
司法試験に合格する自信があったわけでもありません。
そんな僕でも自信を得ることができて
司法試験に合格することができました。
その後もいろいろなことに挑戦できています。
学んでいけば誰でも自信を得て司法試験にも合格できる。
武藤遼が司法試験に合格していくまでの過程は下記の記事で公開しています。
初めまして、武藤遼です。 僕は今、予備校で大学受験や司法試験の受験指導をしています。 文系の最高峰の試験といわれる司法試験。法律家になるための登竜門です。 僕は、大学に入学した直後から司法試験の勉強を始め、大学3年生の時に予備試験に合[…]
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