簡潔さは究極の洗練である。

  • 2019年12月15日
  • 2019年12月20日
  • その他

それは僕が浪人していたときのことだ。

大学受験に失敗し、
予備校に通って浪人することになった。

高校まで住んでいた家を出て、
塾が用意した浪人生専用の寮で生活することになった。

浪人していると、時間に余裕がある。
勉強しなければいけないのは確かだが、
裏を返せば勉強以外特にすることがないのだ。

当然勉強にもこだわるようになる。
合格できなかったのは知識がなかったからだ。

教科書やテキストを読み直し、
抜けていた知識を埋めていった。

当時使っていた勉強法は、
まとめノートを作ることだった。

「東大合格性のノートは必ず美しい」
「東大合格性のノートはどうして美しいのか」

こういう本を見て、
僕も東大生のノートに憧れた口だ。

文頭が揃えられ、
カラフルに整理されたノートは、
誰が見ても美しい。

そんなノートを作りたいと、
まとめノートを作り込んだ。

うむうむ。
我ながらうまくできているな。

完成したノートの出来栄えに、
一人得意になっていた。

特に世界史のノートにはこだわった。
横のつながりから縦のつながりまで。

いろいろな知識を関連付け、
オリジナルのノートを作り込んだ。

ある日、
自分の勉強法がどんなものなのか知りたいと思い、
世界史の先生のもとに
僕のノートを持っていった。

ノートといっても、
ルーズリーフをまとめたやつだったので、
ルーズリーフを何枚か先生に見せてみた。

浪人生活を始めた頃は
やる気もあったから、
そのノートは相当気合が入っていた。

世界史の先生のもとに持っていたノートは
その中でも選りすぐりのものだ。

僕は自信満々でそれを先生に渡した。

先生はしばらくの間、
それをゆっくりと見つめていた。

すると先生は、驚くべき行動にでた。

今でも忘れられない。

先生は、僕のノートをいきなりビリビリに破いてしまったのだ。
そして、それをゴミ箱に捨ててしまった。

え??
ちょ、ちょっと待って!!

それめっちゃ苦労して作ったノートなんだけど!
コピーとか取ってないし、
それもう1回作れっていっても無理だよ。

呆然としている僕に、
先生はにっこりと笑って言った。

今のノートをもう1回作れと言ったらできるかい?

僕は答えた。

できません。

当然だ。
一生懸命作り込んだノート。
相当時間もかかっている。

簡単に復元できるわけではない。

先生はさらに続けた。

では、今君が覚えていることを言ってみなさい。

そう言われて、僕は少しうろたえた。
そういえば、一生懸命作ったノートの割に、
ほとんど覚えていない。

作り込むのに精一杯で、
覚えることができていなかった。
知識として定着していなかった。

僕はしどろもどろになりながら、
知っていることを答えた。

先生は言った。

わかったかい。
綺麗なノートを作っても、それを覚えていないと意味がないんだ。
君は作ったノートを再現できないと言った。
それでは意味がないんだ。

知識は覚えても、使うことができなければ無価値だ。
再現できなければ、どれだけ覚えても意味がない。

君が口にできたことが、いま君の覚えていることの全てだ。
それが君の知識だということを、まずは認めよう。
それが今の君の限界だ。君のキャパシティだ。

焦らなくていい。
先はまだ長いんだ。
まずは口にしたことをしっかりと覚えておきなさい。

そして、
それをいつでも再現できるように覚えておきなさい。
それが君に必要なことであり、君の限界だから。

それは僕に取って衝撃だった。

そうか、そういうことか。
まとめることに一生懸命になって、
実際に使うという意識が抜けていれば、全く意味がない。

ノートを破られたというショックは、
すでに吹き飛んでいた。

人間には覚えられる量に限界がある。
まずはその限界を知る必要がある。

それが僕、武藤遼のストレージなのだ。
頭の中の容量を意識して、
工夫して覚えなければならない。

膨大な知識をただ覚えようとしても、
それでは覚えられない。

知識を加工して、
必要なものを厳選しないととても覚えていられない。

一時的には大量に覚えていても、
数週間したら綺麗さっぱり忘れている。

大事な知識まで抜け落ちてしまったら大変だ。
だからこそ、大事な知識は決して忘れないようにしないといけない。

シンプルにすべきなのだ。
覚えるべき量は限定すべきだ。

シンプルとは、
不必要なものを捨て、必要なものに目を向けるということだ。

何もかもを重要視して、複雑になっていては、
結局何が大事なのかわからない。

何が大事かわからないと、脳だって忘れてしまう。
ましてや、人に伝えようとすると尚更だ。

綺麗なまとめノートを作れば、
眺めはいいかもしれない。充実感はあるかもしれない。

ただ、それらを作っても、
眺めても、覚えていることは結局ゼロだ。

全く自分の身にならない。

そのことを、
世界史の先生は教えてくれた。

シンプルであることは美しい。
シンプルであることは個性だ。

不必要なものを捨てる。
引き算をする。

そこに個性が生まれ、美しさがある。

あれもこれも必要だというのは、
誰にも言える。
周りの人と全く変わらない思考なのだ。

教える側としては、
なおさらシンプルというのは大事だ。

シンプルにしないと、
重要なものを厳選しないと、
個性が出ない。

その人から教わらなければいけないという
理由がない。

他の人でもいいとなってしまう。

詰め込むのは簡単なのだ。
誰にでもできる。

そんなことをやらせるような先生はいらない。
自分は何もわかっていませんというようなものだ。

良い教師は、選択肢を限定できる。
やることを絞ることができるのだ。

選択肢を絞るというのはよくないことだと思うかもしれないが、
良い選択肢に絞っているならばなんの問題もない。

悪い選択肢に絞ってしまうのが問題なだけで、
選択肢を限定するのはなんら悪いことではない。

やるべきことは限定しなければならない。
自分の能力を超えたことをやらないようにしなければならない。

そのためには、絞る必要がある。
可能な限りシンプルにしなければならない。

そのことを、
僕は浪人時代に学んだ。

シンプルにするのは難しい。
勇気がいる。

複雑だと、言い訳がきく。
あれもこれもと言っていれば、
覚えられなくても仕方がないとなる。

シンプルにしていると、言い訳がきかない。
覚えられるだけに限定しているのだから、
それは確実に覚えておかなければならない。

教師の側が複雑にしていたら最悪だ。
複雑にするのは自分のためであって、生徒のためではない。
自分の逃げ道を作るために複雑にしているだけだ。

もしそういう教師がいたら、
その人からは学ぶことはない。

シンプルにわかりやすく、
内容を限定してくれる人から学ぶべきだ。

シンプルは美意識だ。

シンプルなものだけが、時代を超えて受け継がれる。

ダヴィンチは、そのことに気付いていた。
洗練された、美しい作品を残し続けた。

ダヴィンチの作品が歴史を超えて
語り継がれているのは周知の通りだ。

美しいもの、
シンプルなものだけが時代を超えて生き残ることができる。

時代は超えなくても、
人々の心に響くことは確かだ。

これからも僕はシンプルを追求していきたいと思う。

美しいものを、追い求めていきたいと思う。

 

 

 

 

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僕は大学1年生から勉強を始め、
大学3年生で予備試験に合格、
大学4年生で司法試験に合格しました。

予備試験に合格するまでで勉強はほぼ終えてしまい、
予備試験後から司法試験までは
プログラミングやビジネスを勉強し、
法律の勉強はほとんどしませんでした。

信じられないかもしれません。
お前には才能があったんだろ?とも言われます。
僕はもともと司法試験を目指していたわけでもなければ
司法試験に合格する自信があったわけでもありません。

 

そんな僕でも自信を得ることができて
司法試験に合格することができました。
その後もいろいろなことに挑戦できています。

 

学んでいけば誰でも自信を得て司法試験にも合格できる。
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プロフィール

初めまして、武藤遼です。 僕は今、予備校で大学受験や司法試験の受験指導をしています。 文系の最高峰の試験といわれる司法試験。法律家になるための登竜門です。 僕は、大学に入学した直後から司法試験の勉強を始め、大学3年生の時に予備試験に合[…]


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