1日が長いという無敵状態

  • 2020年7月4日
  • 2020年7月4日
  • 人生

こんにちは、武藤遼です。

最近、思うことがありまして、それを書いていこうかなと。

体感時間という指標

何かというと、それは体感時間が長いこと。

最近、一日がめちゃくちゃ長い。
ということは、一週間も長いし、一ヶ月も長い。

これを書いているのは、七月だけど、まだ七月かと感じる。
いろいろありすぎて、充実しすぎている。

歳を取れば取るほど、体感時間が短くなるとよく言われる。
あっという間に1年がすぎていった。
よく言われることだ。

僕も昔大人の人からたくさん言われた。
大人になればなるほど時間はあっという間に過ぎていくよと。

毎日が同じことの繰り返しになる。
そうすると、時間はあっという間に過ぎていく。

一説によると、体感時間換算では人は20歳くらいで人生の半分を終えてしまうらしい。
それくらい、歳をとると体感時間が短くなるということだ。

昨日とは全く違う自分がいる

今の僕にはそれは当てはまっていない。

無限に時間が続くように感じる。
日々気づくこと、学ぶことが多過ぎてとにかく時間が濃い。

日々違うことを考えている。
日々学んでいる。
日々進化している。

それを如実に感じる。

一日一日が違う。

昨日の自分と今日の自分は全く違う。
そして、おそらく明日の自分も違う。

時間=学び

体感時間が短いということは、要するに学んでいないということだと思う。
新たな学びが得られていない。
もしくは新たな学びを得ようとしない。

人と話さない。
本を読まない。
情報を求めに行かない。

そういうことをしていると、時間はあっという間に過ぎていくのだと思う。

今の僕は違う。

時間が無限にある。
日々違う本を読むし、動画も見るし、人と話もする。

学べば学ぶほど新たな気づきが得られる。
当然どんどん進化する。

スクール東京に行って話をする時も、1週間前とは全く違う話をする。
いくら話しても時間が足りない。

そういうことができるのは、1週間の長さが普通の人と違うからだと思う。
普通の人の何倍や何十倍も長い時間を過ごしている。学んでいる。

だから、他人から見たらものすごい時間で進化しているように見える。

そうではない。
何かを学ぶスピードは大して変わらないと思う。
でも、体感時間が長いから結果としてものごとの習得が速いように見える。

1日が、まるで1年間のように

身体の外で流れている時間と身体の中で流れている時間が違う。

常に精神と時の部屋にいる状態。

そりゃあ強い。
学ぶスピードが違うはずだ。

普通の人が何も考えずに過ごしている1日が、僕の中では1年になっている。
常にだ。

考えていること、みていること、聞いている事
気づくこと、吸収すること、学ぶこと

全てが違う。
量が圧倒的に違う。

そうすると、時間は全然過ぎていかない。
時間は過ぎないのに、自分だけどんどん進歩している。

未来の自分≠現在の自分

これが3年5年と続くとどうなるんだろうと、自分でも怖くなる。
どこに行ってしまうんだろうかと。

こうなったのは、間違いなく学び続けてきたからだ。

学ぶことの意味、楽しさを知ったから。

学び続けてきて本当に良かったと思う。
辛いこと苦しいこともあったけど、学び続けてきた結果が今ようやく実を結び始めている。

点と点でしかなかったものが、急速に線で結ばれ始めている。
情報が、加速度的に結びついている。

もう止められない。
学んで、学んで、さらに学ぶ。

止まることはないし、誰かが止めることもできない。

人に言われなくても学ぶし、止められても学ぶ。

学べば学ぶほど、進歩することがわかっているから。

最高の幸福とは

体感時間が長い。
時が経つのが遅い。

これが幸福ということなのではないかと思う。

よく楽しい時間はあっという間に過ぎていくというけど、それはつまり自分のやっていることがわかっていないということだ。
何をやっているかわからないまま、ただ快楽に任せ時を過ごしている。

楽しいけど、学びがない。
進歩がない。

自分が何をやっているかがわかっていると、むしろ時は遅くなる。

人生に支配されるのではなく、自分が人生を支配している。
ちょっと壮大だけど、そんな感じ。


自分が何をしているかを理解し、噛み締めるように生きる。
これは楽しい。

1分1秒、自分が何をやっているかを理解しているということだ。
そりゃあ得られる学びが違うと思う。


確実にいえるのは、今の僕から見たら昔の自分なんて幼稚園児のようだということだ。
司法試験に合格した時の僕でさえ、子供のように見える。
1ヶ月前の僕でさえ、幼く見える。

時の流れを遅くする

これからも、ずっと学び続けていく。
日々進歩することを自分へのノルマとして課している。


もっともっと、時の流れを遅くする。

日々を濃くしていく。
得られる学びを多くしていく。


どこにいくかはわからないけれど、今よりいいところであることは確かだ。


学ぶことによって損することはない。



もっともっといろんな気づきを得たいなあ。
視点を獲得したいなあ。



いろんな人と話したいし、
いろんな場所に行きたいし、
いろんな本を読みたい。


学んで学んで学びまくりたい。


それはきっと今しかできないことだと思うから。



最近、あまりにも体感時間が長くなったので、
その気持ちを忘れないようにって書きました。


まだ7月なのかって感じです。

1日1日の学びがすごいです。

別人すぎて困ります。


そんなことを続けていられる今の生活は最高です。


時間が無限にあるんでね。


学んだもん勝ち。


今は心からそう思います。


これを見て、俺も学ぶぞ!って思ってくれる人が増えてくれたら嬉しいな。


いいことあるよ、ほんとに。

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プロフィール

初めまして、武藤遼です。 僕は今、予備校で大学受験や司法試験の受験指導をしています。 文系の最高峰の試験といわれる司法試験。法律家になるための登竜門です。 僕は、大学に入学した直後から司法試験の勉強を始め、大学3年生の時に予備試験に合[…]


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